視線。

子育てと暮らしの中で好きな瞬間、感じることをつらつらと備忘録に。

揺れる心、くもり時々晴れ。


[不確かな言葉と、出来事を照らし合わせる時間]

村上作品を読んでから、自分の放つ言葉に「待てよ」と立ち止まるようになった。発した言葉のどこか不確かな感触に気づいたからだ。

だからこそ、象徴的な出来事同士を照らし合わせ、いつ、どこで、誰が、何をしたのかを丁寧に書き留めていきたい。向き合う時間を失い、生を感じられなくなってしまわないように。

今日はなんだか調子がいい。身体の使い方や思考の向け方に気を配り、一歩一歩進むために自分と対話する。向き合い方は人それぞれでいい。自分のペースで、立ち止まりながら確かめていこう。


 

[外の世界で揺れる心]

書店で見た人気ランキング。1位は東野圭吾で、私の好きな村上春樹は3位だった。不在となった作家の残した力や記憶の濃さに、どこか圧倒される。

けれど、それを素通りしてしまったとしても別に構わないのだと思う。大切なのは、外の世界と接したときに生じる「自分自身との対話」なのだから。ランキングを見て心が揺れたことも含め、すべては私が確かに感じ取った現実だ。

そうやって芽生える違和感や揺らぎこそが、思考を自分の足元へ引き戻す確かな情報へと繋がっていく。外の波を受け止めながら、今日もしずかに自分と向き合っていきたい。


[目を逸らす時間のなかに]

誰かと顔を合わせて話すとき、どうしても相手の目を直視することができない。それは子供の頃から身体に染みついた、古い習慣のようなもの。洗面所の鏡に映る自分の顔を覗き込んでみても、そこにはいつも、どこかぎこちなさを拭えない顔がある。

「自分の自信のなさが、相手に見透かされているのではないか」

そんな考えがふと、薄い影のように頭をよぎることがある。誰もそんな顔を直視して言葉を返したくはないのかもしれない。あるいは、私が意図的に視線を逸らしていることを、相手は見抜いているのかもしれない。

長年抱えてきたその「自信のなさ」は、歳月とともにいくらか柔らかくはなったものの、心の奥底には依然として、どうしても突破できない壁のようなものが残っていた。

だが歳を重ねるにつれて、ふと気づくようになった。実は、物事はまったく逆だったのかもしれない、と。

自信がないから目を逸らしていたのではない。相手の発する気配や言葉の響きを、必要以上に深く自分の中に受け止めすぎていただけなのだ、と思うようになった。

本当のところ、人と話すことが嫌いではないのだと思う。時計の針の動きを忘れてしまうくらい、それは本来、とても楽しく魅力的な時間なのだから。誰かと会話を交わすたびに、自分の中にはなかった新しい刺激を受け取り、未知の視点や考え方の存在に思いを馳せる。そのためにこそ、言葉を交わしたい。それもメールの画面越しではなく、互いに身体や表情を持ち、同じ空気を吸い込んでいる「面と向かった対話」の中で。

テキストに託された言葉は、時に滑らかすぎて、容易に誤解や嘘を紛れ込ませてしまう。私が惹かれるのは、その場で生み出される生のラリーそのものー。

だから、視線を外し、「うーん」と静かに沈黙するとき、それは決して会話からの逃避ではない。相手が投げかけてきた言葉を自分の蜃気楼へと静かに揺らし、時間をかけて噛みくだくための、絶対に必要な「余白」なのだ、と。

スムーズで完璧な愛想を振りまく必要なんてない。ぎこちなさを手放せないまま、目の前にある対話の手触りを、ただひとつひとつ丁寧に味わっていけばいい。
自分から滅多に連絡を取らないという癖も、他者の領域を力づくで侵そうとしない、自分なりの静かで軽やかな距離感なのだと引き受けてしまえばいいのだから。


 

巡る言葉。受け止める心。

 

第4話:巡る言葉

『マクトゥーブ』を開く。前は『アルケミスト』が好きだったが、今はこちらの気分。人の心や気分は刻一刻と移りゆく。日々の中で出会う誰かや何かに影響を受けながら、私たちは生きている。それが自分を良い方向へ酔わせるかどうかは、結局のところ自分次第なのだろう。

物語はそんな大切なことをそっと教えてくれる。だから本を読むのが好きだ。登場人物を介して感情を味わい、発散された思いを自分の中で丁寧に拾い上げる。日常はいつも、誰かが動かした何かによって動かされていく。だからこそ、それを受け止める私自身の心が大切なのだ。言葉と感情をすくい取りながら、今日もまた自分の日常を紡いでいく。
 
第5話:受け止める心
 
『夏帆』や『街とその不確かな壁』を読みながら、自分自身との向き合い方を考えている。近年の作品の文体は不思議とすんなり入り、心に強く響いた。

作品を通して直面したのは、葛藤を繰り返しながら右往左往する自分だ。どこか過去の自分と決別したい、あるいは白黒つけたい気持ちが強まっていたのかもしれない。

昔から思ったことを口にするのが苦手で、他人の振る舞いが不思議でもあった。だが、自分という履歴から出た言葉を紡がなければ、互いを理解することはできない。大切なのは、ただ理解しようと努めること。

見聞きしたことに揺らぎながらも、過剰に自分事化せず受け入れる。自分を律しながら今を生きていきたい。



第6話:読書で変わる時間

時間が開けば本を開く。それが今の私の楽しみであり日課。

窮屈だった仕事への違和感を自覚して以来、解放された気分でいる。余裕ができたからか、読みたい本の幅も広がった。

以前は自分と合わない本を遠ざける習性があったが、河合隼雄の『無意識の構造』を読み、それが防衛反応だったと気づいた。かつて避けた本も、時が経てば自分に必要な一冊に変わることがある。白黒つけず、心に適度な隙間を空けておくこと。癖や習性はイメージ次第で変えていける。

油断すると忘れてしまいそうな「自分の物差し」という違和感に注意しながら、出会う言葉と柔らかに向き合っていきたい。



 

 



 

 

 

心の奥底と向き合う日々の記憶

 

【第1話:物語の奥へ】

なんとも言えない気分のまま、村上春樹の「夏帆」の余韻の中にいる。
一度読み終えてもすぐ二度目が読みたくなり、別の解釈が浮かぶ。
序盤の30ページに全てのヒントがあるような気がしてならない。言葉を拾いながら、自分自身に言い聞かせている。
 
「何かを飲み込むことと、飲み込まれることは表裏一体」「自分自身であろうとしない絶望」―。「夏帆」より参照
 
かつて20代前半、社会と自分とのズレを恐れながら、模索するように文章を書き始めた頃を思い出した。夢と現実、過去と未来が溶け合う感覚。心の奥底の思いから目を背けると、倍になって溢れ出してしまう。母との関係、変化への戸惑い―。乗り越え方は人それぞれなら、自分の視点から見える世界を楽しみたい。

 



【第2話:心のざわめきと歩調】

周りの声に、ふと心がざわつく。「殻を破れ」だの「はっきり言った方がいい」だの、みんな言いたい放題だ。
一体なんなんだ、と思う。何を求めているのかさっぱりわからない。けれど同時に、彼らが言わんとすることの意図も、どこかで分かってしまう自分がいる。
どちらが正しい生き方なのかなんて、誰にも答えは出せない。正解がわからないまま、あれこれと思いを巡らせて歩く。迷いながら踏み出す自分自身の足取りは、決して悪くないと思えた。
     迷いながら一歩ずつ踏み出す自分自身の足取りは、思っていたよりも悪くないと         思えた。それでいい。
 

【第3話:季節の移ろいと自分らしさ】

今週の休日は心を休めたくて、美容院へ行き、母とランチや買い物を楽しんだ。朝晩の風が心地よくなった9月半ば。子どもたちと毎朝走った今年の夏は通気性重視でノースリーブばかり着ていたが、気温が少し下がった今、ラフなTシャツが足りないことに気づいた。
 
夏の名残にTシャツを一枚、秋服を二着選ぶ。服を選ぶのは未だに難しい。個性を出したい気持ちはあるけれど、派手な装いや極端なシルエットは好みではない。シンプルさの中に、配色や丈感の調和が取れたスタイルが自分の心地よさなのだと思う。
 
 
 

【第4話:静かな気づきと問い】

新しい仕事に馴染めず、心のざわつきが収まらない。
このまま続けられるのだろうかという不安を抱えたまま、憂鬱な週末を過ごしていた。心を回復させたくてぼんやり眺めていたテレビで、移住生活を送る人が語っていた。
「AIにできない仕事をしなくちゃと思った」―と。
その言葉が静かに胸へ染み込んでいく。同時に、村上春樹の「それをしているとき、あなたは楽しいですか?」という問いが思い浮かんだ。
 
自分にしかできないこと、自分が心からやりたい仕事とは何だろう。
効率や手際を求める日々の中で忘れかけていた大切な問いが、深く心に残り続けている。
 
 
 

きっと、どんなタイトルでも読んだ。「村上春樹著/夏帆」


仕事のことを考えるだけでも頭が締め付けられるようだった。思考を避けたくなる。身体が無意識にも。この状態は良くない。

 

思うことは沢山あるのに、言葉にできない。思いと、思考と感情と心配のようなものが、複雑に交差する。そんな気分。

 

こんなふうに困ったとき、本を手に取りたくなる。思考をほぐすために。新鮮な風を感じるために。

 

最近もいくつかの本を購入し、読んでみた。お気に入りであるいつもの書店で購入する。ここ田舎らへんでは本の品揃えが多く、大きな書店。


「地頭スイッチ」、「意見をつくる」、「GeminiAI活用法」、「夏帆」ー。どれも手に取ってみたとき、すぐに「読みたい!」と思った。ジャンルは問わない。

 

手に取るに至るまでには、経緯もある。
最近では、YouTubeでオススメされていた書籍を購入することがよくある。
一冊目の購入候補だったのは、韓国エッセイだった。久しぶりに読んでみたが、いまの私には必要なさそうだった。棚に戻すことになったが、棚に戻した瞬間、「そうだ、本を読み始めた時に感じたことは、「癒し」だった」ということを思い出した。
同時期に、始めたジャーナリングも同じ理由だった。

 

そういう思いを懐かしみながら、その他の書籍を購入し、自宅へ持ち帰ることにした。帰路に着いたそのままの足で本棚へ駆け寄り、ジャーナリングや直感的に読みたくなった本を読んでみることにした。
ある日、ふとこの本が読みたい!となることは幾度とある。
いまだから、この本が必要だと感じるのだと思いながら。


本を読んでいると、放電ログ、充電ログというメモの仕方の解説動画を見つけた時のことを思い出した。
日記でなく、ジャーナリング形式が続けやすそうだということも再認識した。
書き方も迷走しているが、いい発見に結びつきそうな予感を抱えてー。

 

購入したばかりの新刊を読み始めることにした。
ノートに書き留めながら、読み進めていく。「あれ、こんなに思いが溢れるなんて」。

書いている最中に、気づいた。気づいたことも蓋をしなくてよいのだ。我慢の限界が来てしまう前に。一歩手前で防ぐことができたのかもしれない。そう思った。

 

それからは、終始、久しぶりにペンが進んだ。子供達の新学期が始まり、仕事が休みだったのもあって、半日以上読んでは、書いていた。心地よかった。喜び。受け入れる。とにかく気になることは、書いた。
この先は、わからない。だからこそ、紡いでいく。だから、書ける。

 

「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男はいった。

最初からふいをつかれたような気分だった。
場面が唐突だが、新鮮な始まりだった。

一番読んだ中で衝撃を受けたのは、「夏帆/村上春樹著」だった。

 


小説の中で、主人公が刺さった言葉が、何度も登場する。
とにかく、村上春樹の本は読みやすいと思う。
言葉、背景、情景、感情、感覚、事実、本音、視点、行動に至るまでの回想、意思が、読んでいても違和感なく、思い浮かんでくる。
そして、なんというリズム感。文体が踊っているかのように思える。
途切れることなく続くようなリズムが好きだ。それでも、印象に残る。好みからして、曲もそうだと思う。

 

とにかく、読んでいて読み応え抜群であった。
恐怖、幸せ・・・こういう場面を別のものに例えながらも、リアルに描く。
物語を読みながら、空想と現実との間を彷徨う。けれども、決して分離はしていなくて、どこか繋がっている。現実でもありうることだと思った。


私の中で印象的だったのは、「とぎや」の主人=主人公の描く絵本の中では、森の老人だった。
どの登場人物も村上春樹であった気もする。そして、他人事ではなかった。自分のことのように読んでいた。


確信をつかれたような胸騒ぎがした。どれも現実であって、非現実でもあるということ。どれも正解はないということ。


「ピンポーン」
宅配便が届く。ハッと現実にもだった気分だった。途中で物語の世界を遮られた気分だった。これが、現実かと。物語から目覚めたようだった。P315の文章に彷徨った気分だった。夢と覚醒ー。実体とメタファー。異次元?私自身も小説の中の物語と自分自身との境目がわからないまま、読み進めることになる。どれも関連づいていることだけはなんとなく理解ができた。


とにかく、主人公は物語の最後まで感情の交差が忙しい。
”嘘と真実の境界線は、曖昧でわかりにくいものだ”
この一節がなぜか胸に響いている。


最後は、余韻が溢れるエンディングだった。過去との決別。一区切りー。
読み終えて残ったものは、小説の中のどの人物にもいるような存在たち。そして今の自分への後押し。漠然としながらも、目が覚めた感覚だった。

 

村上春樹ワールド。
確かに、村上春樹だと。これまでエッセイしか読んでこなかったが、他の小説も読みたくなった。

 

 

 

 

視線ー葛藤や情熱が入り混じった夏の思い出。

なんで気になったんだろう?

心が引っかかった、あのサッカーの開幕戦や息子の試合の風景。

そこには戦う人、応援する人、そしてその画面を見つめる私自身の「目線」があった。

人々の視線に、ただ胸が熱くなり、感動が込み上げてきた。

その気になったシーンの奥へ、自分でかき分けて入り込んでみる。

見えてきたのは、夏休みの練習を毎日頑張ってきた息子への信頼と、本番への恐れ。

活躍する選手やチームメイトへの憧れと、結果に囚われて落ち込む母親たちの姿。

前進しているはずなのに、どうしても結果にコミットしてしまい、「どうしたら殻を破れるのか」と思い悩む自分自身の葛藤だった。

ただ本を読むだけでは理解が深まらないように、頭で考え、知恵を絞り出し、自分の感覚と照らし合わせていく。

そうやって心の中の引っ掛かりを解消し、乗り越えていく準備を整えていくのだと思う。

これからの新しい一歩、そして私の目標。

それは、日常の中で「人たちのそれぞれの目線」を、いちいち感じ取ってみること。

芽生える気持ちを見つけながら、満足するまで味わい、体験し、いつか「ごちそうさま」と言えるような充実感を探したい。

今日という日常も、私自身の目線で深く感じ取りながら、新しい一歩を踏み出していこう。

 

 

夏休み。余裕のない時間、解決大作戦!

 

夏休み。余裕のない時間、解決大作戦!

 

目が覚める。時計を見る。7時。

 

最初に鳴ったアラームは6時。そのときからうっすら頭は冴えている。けれども、身体は起きようとしない。足踏みをした。目標の5時半は遠い。

 

朝食を終える。子どもたちと机に並ぶ。夏休みの宿題が広がる。私は本を開く。ページをめくりながら、メモを走らせる。

 

今日の計画を書き出す。優先度を並べ替える。まずは読書を始める。

 

近ごろ身体に疲労が残る。時間に追われ、引きずり回される日々を振り返る。心に少しの隙間さえなかった。「手元にあるわずかな時間を、どう自分の手に取り戻すか」。

その問いを抱えて本を開いた。

結果、読書は硬直した心に、風を通した。1ヶ月で読んだ4冊のまとめをしていこうと思う。

 

 

今回のノートの全体像と本質

1. なぜ読むのか?(タイムマネジメント・目的意識)

  • 本質: 「緊急の処理(第1領域)」に忙殺される日常から抜け出し、「主体的な投資(第2領域)」へ時間とエネルギーを渡すため。

  • 実践: 朝5:30に起き、計画・読書・身体のケア(筋膜ローリング)から1日を始めることで、人生の主導権を自分の手に引き寄せる。

2. 何を読むのか?(情報の「統合」と「転機」)

  • 本質: 「直近のアウトプット(仕事・情報)」と「教養・娯楽(生き方)」を分けず、両者を頭の中で掛け合わせる。

  • 実践: 書店での偶然の出会いや直感を大切にし、自分の中に湧き出た違和感や問い(自分自身の記者会見)を「素材」として集める。

3. どう読むのか/どう表現するのか?(思考の深化と言語化)

  • 本質: 「感動した」「よかった」という安易な言葉(記号)で済ませず、五感や身体感覚を使ってその「差異」を切り分ける。

  • 実践: 思考は「転(書き終えた時点、思いもよらなかった地点)」から始まる。AIや他人の正論ではなく、自分自身の言葉で問いかけた末に出てくる感覚こそを大切にする。

 

私生活、仕事、子育て、家事。すべてを配分してこなしたい意欲に応える時間となった。

身体の重みと、時の使い方が狂っている感覚。窮屈なサインを見逃さない。

「朝5時半の起床」と「違和感を言葉で噛み締める読書」。

本日のスケジュールを刻む。悪くない第一歩かな。

[新版]人生を変えるモーニングメソッド~自由に機嫌よく生きている人が、毎朝していること。

読書思考トレーニング ――AI活用でロジカルにアウトプットする技法 (ちくま新書)

文章は、「転」。

伝わる! 文章力が身につく本 (基礎からわかる“伝わる!"シリーズ)



 

読書欲「エレガンス入門」/丁寧に生きる

 



久しぶりに読書欲が湧いてきた。

カフェで仕事を終えたついでに書店へ行き、新書コーナーで「エレガンス入門」を手に取って読んだ瞬間、「買おう」となる。「センス」というものを「エレガンス」と紹介しながら、いくつもの著名人の個性「美意識」を探っていく。一句一句のコトバが文章となり、つらつらと述べられて言語化されていて、それが、読んでいくうちに一つの結論として整理されていく様が、なんとも腑に落ちて清々しい。久しぶりに自分自身の指南書となりそうな予感。

背筋がしゃんとした。

それからというもの「日々、自分自身の自己管理は大事だ」という思いが回復し、数ヶ月ぶりに日記をつけ始めている。ちょっとした日々の洗濯の積み重ねを大事にしていこうと思う。

 

中野香織著:「エレガンス入門」より参照

私たちは日々、無数の選択を迫られています。何を語り、何を沈黙させるか。どこまで踏み込み、どこで距離を保つか。どこまで競い、どこで譲るか。その一つひとつの判断が、知らず知らずのうちに、私たち自身の姿勢と、周囲との関係の質を形づくってい
います。
エレガンスとは何かを問うことは、突き詰めれば、「人はどのように他者共にといる場を設計するのか」という、美学であると同時に倫理でもある問いに踏み込むことにほかなりません。

 

真夏が近づく。もうかき氷が恋しくなってきた。子どもたちとパクリ。



同じことは、言葉遣いにも当てはまります。率直でありながら、相手を傷つけない。遠慮しすぎず、しかし踏み込みすぎない。主張すべきところは主張し、引くべきところでは引く。
こうした微妙な調整は、マニュアルでは身につきません。長い時間をかけて培われた
判断の感覚によってのみ可能になります。
エレガンスとは、「何かを持っているかどうか」ではなく、「どのように選び続けてき
たか」の履歴です。ひとりの人が繰り返してきた無数の選択が、ある一貫性を帯びてあわれたとき、それは「スタイル」と呼びます。

 

 

<今週の振り返り>

・「エレガンス」ラテン語:選び取る
・日々の小さな選択の積み重ね
・丁寧に生きる
・なにを手放し、何を残し、どのように世界と向き合うのかー(エレガンス入門より)
姿勢が佇まいや行動に現れる
・美意識知性のあり方を自らでつくる