[不確かな言葉と、出来事を照らし合わせる時間]
[外の世界で揺れる心]
[目を逸らす時間のなかに]

[不確かな言葉と、出来事を照らし合わせる時間]
[外の世界で揺れる心]



仕事のことを考えるだけでも頭が締め付けられるようだった。思考を避けたくなる。身体が無意識にも。この状態は良くない。
思うことは沢山あるのに、言葉にできない。思いと、思考と感情と心配のようなものが、複雑に交差する。そんな気分。
こんなふうに困ったとき、本を手に取りたくなる。思考をほぐすために。新鮮な風を感じるために。
最近もいくつかの本を購入し、読んでみた。お気に入りであるいつもの書店で購入する。ここ田舎らへんでは本の品揃えが多く、大きな書店。
「地頭スイッチ」、「意見をつくる」、「GeminiAI活用法」、「夏帆」ー。どれも手に取ってみたとき、すぐに「読みたい!」と思った。ジャンルは問わない。
手に取るに至るまでには、経緯もある。
最近では、YouTubeでオススメされていた書籍を購入することがよくある。
一冊目の購入候補だったのは、韓国エッセイだった。久しぶりに読んでみたが、いまの私には必要なさそうだった。棚に戻すことになったが、棚に戻した瞬間、「そうだ、本を読み始めた時に感じたことは、「癒し」だった」ということを思い出した。
同時期に、始めたジャーナリングも同じ理由だった。
そういう思いを懐かしみながら、その他の書籍を購入し、自宅へ持ち帰ることにした。帰路に着いたそのままの足で本棚へ駆け寄り、ジャーナリングや直感的に読みたくなった本を読んでみることにした。
ある日、ふとこの本が読みたい!となることは幾度とある。
いまだから、この本が必要だと感じるのだと思いながら。
本を読んでいると、放電ログ、充電ログというメモの仕方の解説動画を見つけた時のことを思い出した。
日記でなく、ジャーナリング形式が続けやすそうだということも再認識した。
書き方も迷走しているが、いい発見に結びつきそうな予感を抱えてー。
購入したばかりの新刊を読み始めることにした。
ノートに書き留めながら、読み進めていく。「あれ、こんなに思いが溢れるなんて」。
書いている最中に、気づいた。気づいたことも蓋をしなくてよいのだ。我慢の限界が来てしまう前に。一歩手前で防ぐことができたのかもしれない。そう思った。
それからは、終始、久しぶりにペンが進んだ。子供達の新学期が始まり、仕事が休みだったのもあって、半日以上読んでは、書いていた。心地よかった。喜び。受け入れる。とにかく気になることは、書いた。
この先は、わからない。だからこそ、紡いでいく。だから、書ける。
「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男はいった。
最初からふいをつかれたような気分だった。
場面が唐突だが、新鮮な始まりだった。
一番読んだ中で衝撃を受けたのは、「夏帆/村上春樹著」だった。
小説の中で、主人公が刺さった言葉が、何度も登場する。
とにかく、村上春樹の本は読みやすいと思う。
言葉、背景、情景、感情、感覚、事実、本音、視点、行動に至るまでの回想、意思が、読んでいても違和感なく、思い浮かんでくる。
そして、なんというリズム感。文体が踊っているかのように思える。
途切れることなく続くようなリズムが好きだ。それでも、印象に残る。好みからして、曲もそうだと思う。
とにかく、読んでいて読み応え抜群であった。
恐怖、幸せ・・・こういう場面を別のものに例えながらも、リアルに描く。
物語を読みながら、空想と現実との間を彷徨う。けれども、決して分離はしていなくて、どこか繋がっている。現実でもありうることだと思った。
私の中で印象的だったのは、「とぎや」の主人=主人公の描く絵本の中では、森の老人だった。
どの登場人物も村上春樹であった気もする。そして、他人事ではなかった。自分のことのように読んでいた。
確信をつかれたような胸騒ぎがした。どれも現実であって、非現実でもあるということ。どれも正解はないということ。
「ピンポーン」
宅配便が届く。ハッと現実にもだった気分だった。途中で物語の世界を遮られた気分だった。これが、現実かと。物語から目覚めたようだった。P315の文章に彷徨った気分だった。夢と覚醒ー。実体とメタファー。異次元?私自身も小説の中の物語と自分自身との境目がわからないまま、読み進めることになる。どれも関連づいていることだけはなんとなく理解ができた。
とにかく、主人公は物語の最後まで感情の交差が忙しい。
”嘘と真実の境界線は、曖昧でわかりにくいものだ”
この一節がなぜか胸に響いている。
最後は、余韻が溢れるエンディングだった。過去との決別。一区切りー。
読み終えて残ったものは、小説の中のどの人物にもいるような存在たち。そして今の自分への後押し。漠然としながらも、目が覚めた感覚だった。
村上春樹ワールド。
確かに、村上春樹だと。これまでエッセイしか読んでこなかったが、他の小説も読みたくなった。
なんで気になったんだろう?
心が引っかかった、あのサッカーの開幕戦や息子の試合の風景。
そこには戦う人、応援する人、そしてその画面を見つめる私自身の「目線」があった。
人々の視線に、ただ胸が熱くなり、感動が込み上げてきた。
その気になったシーンの奥へ、自分でかき分けて入り込んでみる。
見えてきたのは、夏休みの練習を毎日頑張ってきた息子への信頼と、本番への恐れ。
活躍する選手やチームメイトへの憧れと、結果に囚われて落ち込む母親たちの姿。
前進しているはずなのに、どうしても結果にコミットしてしまい、「どうしたら殻を破れるのか」と思い悩む自分自身の葛藤だった。
ただ本を読むだけでは理解が深まらないように、頭で考え、知恵を絞り出し、自分の感覚と照らし合わせていく。
そうやって心の中の引っ掛かりを解消し、乗り越えていく準備を整えていくのだと思う。
これからの新しい一歩、そして私の目標。
それは、日常の中で「人たちのそれぞれの目線」を、いちいち感じ取ってみること。
芽生える気持ちを見つけながら、満足するまで味わい、体験し、いつか「ごちそうさま」と言えるような充実感を探したい。
今日という日常も、私自身の目線で深く感じ取りながら、新しい一歩を踏み出していこう。

目が覚める。時計を見る。7時。
最初に鳴ったアラームは6時。そのときからうっすら頭は冴えている。けれども、身体は起きようとしない。足踏みをした。目標の5時半は遠い。
朝食を終える。子どもたちと机に並ぶ。夏休みの宿題が広がる。私は本を開く。ページをめくりながら、メモを走らせる。
今日の計画を書き出す。優先度を並べ替える。まずは読書を始める。
近ごろ身体に疲労が残る。時間に追われ、引きずり回される日々を振り返る。心に少しの隙間さえなかった。「手元にあるわずかな時間を、どう自分の手に取り戻すか」。
その問いを抱えて本を開いた。
結果、読書は硬直した心に、風を通した。1ヶ月で読んだ4冊のまとめをしていこうと思う。
今回のノートの全体像と本質
1. なぜ読むのか?(タイムマネジメント・目的意識)
本質: 「緊急の処理(第1領域)」に忙殺される日常から抜け出し、「主体的な投資(第2領域)」へ時間とエネルギーを渡すため。
実践: 朝5:30に起き、計画・読書・身体のケア(筋膜ローリング)から1日を始めることで、人生の主導権を自分の手に引き寄せる。
2. 何を読むのか?(情報の「統合」と「転機」)
本質: 「直近のアウトプット(仕事・情報)」と「教養・娯楽(生き方)」を分けず、両者を頭の中で掛け合わせる。
実践: 書店での偶然の出会いや直感を大切にし、自分の中に湧き出た違和感や問い(自分自身の記者会見)を「素材」として集める。
3. どう読むのか/どう表現するのか?(思考の深化と言語化)
本質: 「感動した」「よかった」という安易な言葉(記号)で済ませず、五感や身体感覚を使ってその「差異」を切り分ける。
実践: 思考は「転(書き終えた時点、思いもよらなかった地点)」から始まる。AIや他人の正論ではなく、自分自身の言葉で問いかけた末に出てくる感覚こそを大切にする。
私生活、仕事、子育て、家事。すべてを配分してこなしたい意欲に応える時間となった。
身体の重みと、時の使い方が狂っている感覚。窮屈なサインを見逃さない。
「朝5時半の起床」と「違和感を言葉で噛み締める読書」。
本日のスケジュールを刻む。悪くない第一歩かな。

久しぶりに読書欲が湧いてきた。
カフェで仕事を終えたついでに書店へ行き、新書コーナーで「エレガンス入門」を手に取って読んだ瞬間、「買おう」となる。「センス」というものを「エレガンス」と紹介しながら、いくつもの著名人の個性「美意識」を探っていく。一句一句のコトバが文章となり、つらつらと述べられて言語化されていて、それが、読んでいくうちに一つの結論として整理されていく様が、なんとも腑に落ちて清々しい。久しぶりに自分自身の指南書となりそうな予感。
背筋がしゃんとした。
それからというもの「日々、自分自身の自己管理は大事だ」という思いが回復し、数ヶ月ぶりに日記をつけ始めている。ちょっとした日々の洗濯の積み重ねを大事にしていこうと思う。
中野香織著:「エレガンス入門」より参照
私たちは日々、無数の選択を迫られています。何を語り、何を沈黙させるか。どこまで踏み込み、どこで距離を保つか。どこまで競い、どこで譲るか。その一つひとつの判断が、知らず知らずのうちに、私たち自身の姿勢と、周囲との関係の質を形づくってい
います。
エレガンスとは何かを問うことは、突き詰めれば、「人はどのように他者共にといる場を設計するのか」という、美学であると同時に倫理でもある問いに踏み込むことにほかなりません。

同じことは、言葉遣いにも当てはまります。率直でありながら、相手を傷つけない。遠慮しすぎず、しかし踏み込みすぎない。主張すべきところは主張し、引くべきところでは引く。
こうした微妙な調整は、マニュアルでは身につきません。長い時間をかけて培われた
判断の感覚によってのみ可能になります。
エレガンスとは、「何かを持っているかどうか」ではなく、「どのように選び続けてき
たか」の履歴です。ひとりの人が繰り返してきた無数の選択が、ある一貫性を帯びてあわれたとき、それは「スタイル」と呼びます。
<今週の振り返り>
・「エレガンス」ラテン語:選び取る
・日々の小さな選択の積み重ね
・丁寧に生きる
・なにを手放し、何を残し、どのように世界と向き合うのかー(エレガンス入門より)
姿勢が佇まいや行動に現れる
・美意識知性のあり方を自らでつくる